秀岳館高校の卒業生で活躍した有名人!1人1人の詳しい情報をくまなく見ていく

秀岳館高校は、高校野球や高校サッカー、弓道で有名な学校です。

強豪校に選手は集まりやすく、これまで多くの有名人が卒業しています。

どんな人が活躍しているのか気になりますよね。

 

今回は、秀岳館高校を卒業して活躍した有名人をご紹介していきます。

野球やサッカーに詳しくない人でも聞いたことのある人も登場しますよ。

 




秀岳館高校はどんな学校なのか

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秀岳館高校は、熊本県八代市にある私立高校です。

2001年(平成13年)3月まで、学校名は八代第一高校でした。

そのため、現在の校名を短縮した「がっかん」以外に「やっしょう」とも呼ばれているようです。

 

秀岳館高校を運営しているのは、学校法人八商学園です。

 

男女共学の学校で、学科は3つ。普通科、商業科、建設工業科の中で、さらにコースがわかれています。

秀岳館高校の偏差値は、38から44です(2022年度)。各コースと偏差値をまとめました。

 

普通科

  • 特進コース:44
  • 進学コース:40
  • 総合コース:41
  • 保険福祉コース:38

 

商業科

  • 情報ビジネスコース:42
  • 生活ビジネスコース
  • トータルビジネスコース:43

「生活ビジネスコース」の偏差値は、わかりませんでした。

 

建設工業科

  • テクニカルコース:43
  • インテリアクラフトコース:42

 

一番高い偏差値は44で、普通科「特進コース」です。学業より部活動を力を入れた秀岳館高校の偏差値は、全体的にあまり高くないようです。

 

秀岳館高校の部活動は活発で、野球やサッカー、弓道の他に、ダンス部、太鼓部、三味線部など種類が豊富。全国大会で活躍することの多い学校です。

 

校則は全体的に緩めと言われています。制服の注意は少なく、髪型の自由度は高いようです。

 

また、秀岳館高校は、国公立大学へ進学実績のある学校です。

・熊本大学
・京都大学
・九州大学

 




秀岳館高校に通っていた卒業生

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秀岳館高校に通っていた有名人を28人ご紹介します。

現在活躍中の有名人もいますよ。

 

 

与田順欣

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画像出典元:オークファン

 

与田順欣さんは、秀岳館高校を卒業した元プロ野球選手です。

 

熊本県出身の与田順欣さんは、野球部のピッチャーとして活躍。

甲子園には出場しなかったものの、スライダーやカーブ、シュートなど多彩な変化球を武器に注目されていました。

 

与田順欣さんは、1962年の高校卒業と同時に西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団します。

入団した年の5月に初先発に起用されますが、思うように結果を出せませんでした。

 

その後1964年に先発入り。1967年には主力投手として、自己最多の13勝を挙げます。

与田順欣さんは、コツコツと経験を積み重ね活躍していたようです。

 

しかし、1970年にプロ野球関係者が八百長を行った「黒い霧事件」に関わったとして、球界を永久追放されてしまった与田順欣さん。

活躍を期待されていただけに、残念に思うファンも多かったことでしょう。

 

 

松中信彦

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画像出典元:週刊ベースボールONLINE

 

松中信彦さんは、秀岳館高校を卒業した元プロ野球選手です。

熊本県八代市出身の松中信彦さんは、小学生時代から野球クラブへ入団し、投手と一塁手で活躍していました。

高校を卒業した松中信彦さんは、新日鐵君津に入社。社会人野球で活動を続けます。

 

1996年アトランタオリンピックの野球日本代表に選出された松中信彦さは、決勝のキューバ戦で同点満塁ホームランを放ち銀メダル獲得に貢献。松中信彦さんは、一躍有名人となります。

 

オリンピック後のドラフト会議で、松中信彦さんは福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の外野手として球界入り。

松中信彦さんは、入団した年のオープン戦で満塁ホームランを放ち活躍を期待されていました。

 

ところが、バットの違いから思うように打率が伸びず、3割未満という成績に。

プロ野球は木のバット。社会人野球まで長年使っていた金属バットとの違いに慣れなかったようです。

 

安定した打率を求められるバッターは、3割以上が一流の目安と言われています。活躍が期待されていただけに、残念な結果となっていたようです。

 

翌年の1998年は一軍として公式戦34試合に出場。ウエスタン・リーグでは19本のホームランで本塁打王を獲得しました。

活躍できなかった翌年に、大活躍した松中信彦さん。バットの扱いに慣れ、ホームランを量産できるようになったようです。

 

松中信彦さんは、2004年の1シーズンで、首位打者、本塁打王、打点王の3つのタイトルを獲得。史上7人目で平成唯一の三冠王を達成しました。

 

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画像出典元:Twitter

 

三冠王となった翌年の2005年になると、膝などの不安を抱え打撃に専念。2年連続して本塁打王、3年連続で打点王を獲得します。

3年連続して打点120以上はプロ野球史上初。松中信彦さんは素晴らしい記録を残しています。

 

2006年に初めて開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表に選出された松中信彦さんは、日本の優勝に貢献。打率は4割3分3厘と好調でした。

 

打撃者として輝かしい活躍をした松中信彦さんは、膝や肩の不調などから2015年シーズンで退団しました。

 

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画像出典元:Twitter

 

現役引退後は、野球解説者として活躍する松中信彦さん。

いずれは野球指導者として、三冠王を獲得できるほどの選手を育てたいという思いを持っているようです。

 

 

遠山奬志

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画像出典元:週刊ベースボールONLINE

 

遠山奬志さんは、秀岳館高校を卒業した元プロ野球選手です。

 

熊本県出身の遠山奬志さんは、高校で野球部のエースとして活躍。

甲子園に出場はしていませんが、打率4割4分、35本のホームランを記録。11回のノーヒットノーランも残しています。

 

遠山奬志さんは、1985年のドラフト会議で阪神タイガースから1位指名で入団します。

阪神タイガースは清原和博さんを指名しましたが、抽選で独占交渉権を逃し、遠山奬志さんを再指名していました。

当時の阪神タイガースは、球団史上初の日本シリーズ制覇を達成。再指名であっても人気球団に入ったのは凄いことです。

 

入団1年目の1986年に一軍公式戦で8勝12球団の高卒新人投手として、遠山奬志さんは最高の成績を残します。

 

1987年に左肩を痛めたことがきっかけで成績は低迷。1990年シーズン後にロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)へ移籍します。

移籍後も成績が残せず、1995年には投手から外野手へ転向

1996年には二軍公式戦で最多安打を記録しますが、一軍での活躍はなく戦力外通告に。

 

遠山奬志さんは現役を希望し、阪神への入団テストを受けます。

野手として受験した遠山奬志さんは、1987年まで阪神の監督を務めていた吉田義男さんからの要望で、ピッチングを披露。遠山奬志さんは、投手として古巣である阪神に復帰します。

 

野手として活躍していても、ピッチングを披露した遠山奬志さん。久しぶりの投球で緊張したかもしれません。

ピッチングをした時に、左肩の痛みはなかったそう。投手から野手で活躍する間に、痛みが消えてしまったと後日のインタビューで語っていました。

 

阪神に復帰した遠山奬志さんは投球フォームを変更し、新しくシュートを習得

読売ジャイアンツの左打者相手に強く、松井秀喜さんを通算で13打数ノーヒットに抑える活躍をします。

 

遠山奬志さんは、松井秀喜さんの愛称を使った「ゴジラキラー」と呼ばれ人気となります。

当時の松井秀喜さんも、遠山奬志さんの素晴らしい投球に「顔も見たくない」とコメントしたほどだったとか。

 

見事に復活をとげた遠山奬志さんでしたが、2001年頃から坐骨神経痛のような症状に見舞われます。

翌年の2002年には腰の状態が悪化。満足に投球できなくなり、2002年のシーズン終盤に引退を表明します。

 

引退後の2005年から2011年まで阪神の二軍投手コーチとして活躍。

その後も野球の解説などを続け、2019年には浪花高等学校の硬式野球部コーチに就任します。

現役を引退してからも、野球に関わっている遠山奬志さん。コーチとして野球の大会での活躍を期待したいですね。

 

 

国吉佑樹

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画像出典元:Yahoo!JAPANニュース

 

国吉佑樹さんは、秀岳館高校を卒業したプロ野球選手です。

 

小学2年生から硬式野球を始めた国吉佑樹さん。小学5年生の時に6年生チームで投手を務めました。

1学年上の中で、投手として活躍する国吉佑樹さん。当時から技術力の高さがわかりますね。

 

秀岳館高校では、2年生の時から控え投手としてベンチ入りしていました。

高校2年の冬に、ストレートが140キロを上回る球速となります。

高校球児の平均球速が120~130キロ台と言われています。140キロ以上は、プロも注目する球速です。

 

国吉佑樹さんは、2009年のNPB育成ドラフト会議で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)から1巡目に指名され球界入りをはたします。

 

2010年に右肩痛を発症した国吉佑樹さんは、シーズン終了後に投球フォームの改善を行います。

翌年の2011年には、ストレートの最高球速152キロを出すまでに。

投球フォームを変えることで、肩に負担をかけず速く投げられるようになったようです。

 

2011年8月27日の中日ドラゴンズ戦で、先発投手として一軍公式戦にデビュー。10月4日の読売ジャイアンツ戦でも先発投手として出場し、一軍公式戦で初勝利します。

 

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画像出典元:Twitter

 

 

2012年にはオープン戦の4試合で通算18イニング無失点と好調。国吉佑樹さんは開幕から一軍入りとなります。

9月7日の広島東洋カープ戦で、一軍公式戦での完封勝利をあげます。セントラル・リーグ球団の中で、育成選手として入団した投手として初めてのことでした。

 

2013年に右肩痛を発症し、国吉佑樹さんは調整を余儀なくされます。

8月18日のシーズン初勝利をした時に、当時のストレート自己最高球速153キロを計測しました。

2018年以降、筋力トレーニングを行いストレートの球速が向上。国吉佑樹さんの自己最速ストレートは161キロとなっています。

 

2021年6月14日、国吉佑樹さんの千葉ロッテマリーンズ移籍が発表されました。同じ投手として活躍する有吉優樹さんとのトレードでした。

移籍後も好調をキープする国吉佑樹さん。今後の活躍も期待されますね。

 




 

小林秀一

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画像出典元:スポニチSponichi Annex

 

小林秀一さんは、秀岳館高校を卒業し、巨人の1位指名を断った元社会人野球選手です。

 

熊本県出身の小林秀一さん。小学生の頃から投手として活躍していました。

 

制球力がイマイチだった小林秀一さんは、秀岳館高校で野球部に入ると投球スタイルを変更

安定した制球になったことで、1969年の夏の甲子園熊本県大会決勝まで進出します。

結果は準優勝でしたが、小林秀一さんの活躍ぶりに地元マスコミも注目していました。

 

小林秀一さんは高校卒業後、愛知学院大学へ。野球の才能を買われての進学でした。

愛知大学野球リーグの1973年春季リーグで小林秀一さんは8勝をあげ、最優秀選手に選ばれます。チームとして10季ぶりの優勝に貢献しました。

 

春季リーグ直後の全日本大学野球大会では、決勝相手の中央大学硬式野球部に敗れ準優勝。

その後開催された、第2回日米大学野球大会日本代表に選出。小林秀一さんの活躍ぶりに、プロのスカウトも注目していました。

 

1973年のプロ野球ドラフト会議で、小林秀一さんは読売ジャイアンツから1位指名を受けます。

当時の小林秀一さんは熊谷組に内定しており、入団を迷っていました。

仕事として野球を選んでいなかったからです。

 

入団交渉で会った川上哲治監督に「読売ジャイアンツに野球人としてきてほしい」と言われ、断る決心がついたそう。

有名球団の1位指名を断るなんて、勇気のいることです。小林秀一さんは、自分の信念を貫いたのかもしれません。

 

大学卒業後は、内定していた熊谷組に就職します。

 

1974年の都市対抗試合で、新人の小林秀一さんは2回戦の先発投手。結果は0-1で負けてしまいますが、当時初優勝した大昭和製紙北海道との投げ合いに周りから注目を集めました。

 

熊谷組に8年在籍していた小林秀一さんは、現役引退後に大学野球部の監督に就任します。就任した大学は愛知学院大で、小林秀一さんの母校です。

小林秀一さんが監督となってからの15年で、愛知大学野球リーグの優勝を12回経験

1987年のドラフトでは、教え子の益田明典さんが投手として巨人から指名され入団していました。

 

その後、脳梗塞で倒れた小林秀一さんは監督を退任し、大学院を修了した中京大学の准教授として教壇に立っています。

 

 

笹原脩平

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画像出典元:ゲキサカ

 

笹原脩平さんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

秀岳館に入学する前の笹原脩平さんは、少年サッカーの「脇本SSS」、鹿児島県のクラブチーム「パルティーダ鹿児島」に所属していました。

 

パルティーダ鹿児島は、個人技重視の指導にこだわりを持つクラブチーム。ウォーミングアップのダンスで身体操作能力を磨くのが特徴です。

笹原脩平さんの持ち味は、精度の高い両足のキック

 

通常キックは利き足で行いますが、笹原脩平さんは利き足でなくても高い精度だったようです。

パルティーダ鹿児島時代に身体操作能力を磨いていたのでしょうね。

 

中学を卒業し、故郷の鹿児島を離れ秀岳館へ進学することになった笹原脩平さん。

高校3年生で出場した全国高等学校サッカー選手権大会の熊本県予選で、笹原脩平さんの所属する秀岳館高校のサッカー部が初優勝しました。

 

笹原脩平さんのポジションはディフェンダーで、ゴールキーパーの前。最終ラインを笹原脩平さんが守っていたからこそ優勝できたのかもしれません。

実は、秀岳館が熊本県予選で優勝した時、笹原脩平さんは2015年からサガン鳥栖に内定していました。

 

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画像出典元:Twitter

 

熊本県予選の試合を見た人の感想がこちら。

 

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画像出典元:Twitter

 

笹原脩平さんの精密な両足のキックは、サガン鳥栖も認めるほどだったようです。

 

ところが、サガン鳥栖に加入して1年たった2016年1月14日。笹原脩平さんの契約満了が発表されました。

 

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画像出典元:Twitter

 

Jリーガーとなった笹原脩平さんは、公式戦に出場することなく去ることになってしまいました。

修行して戻ってくる」と、笹原脩平さん自らTwitterに投稿していました。

 

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画像出典元:Twitter

 

2016年に東海大学に入学した笹原脩平さんは、関東大学リーグ2部加盟のサッカー部に所属。

2018年にはアルビレックス新潟シンガポールに加入しました。

 

アルビレックス新潟シンガポールは、Jリーグに加盟するアルビレックス新潟の下部組織で、シンガポールを本拠地にするサッカーチーム。

若手の育成先を目的とした選手と、Jリーグのクラブを契約満了となった若手選手などで構成されています。

笹原脩平さんは、サガン鳥栖を契約満了となった若手選手。東海大学でもサッカーの活動をしていたことで、活躍を期待されていたのでしょうね。

 

2020年にはブルネイを本拠地とするブルネイDPMM FCに移籍し、10月まで在籍していました。

 

2021年5月3日に、笹原脩平さんはプロサッカー選手からの引退を自身のTwitterで報告しました。

 

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画像出典元:Twitter

 

プロとして引退しても、地元の大企業で働きながらサッカーを続ける笹原脩平さん。身近なところでサッカーを楽しむ姿を見れるかもしれませんね。

 

 

九鬼隆平

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画像出典元:パ・リーグ.com

 

九鬼隆平さんは、秀岳館高校を卒業したプロ野球選手です。

 

大阪府出身の九鬼隆平さんは、地元の枚方香里フェニックスに所属し軟式野球を始めます。

中学に入学すると硬式野球オール枚方ボーイズに所属。中学3年生の大会で3度の優勝を経験しています。

 

オール枚方ボーイズは野球少年なら誰でも知るほどの強豪チームで、九鬼隆平さんは中学1年の時から捕手として大会に出場していました。

強いチームには人が集まるので、試合に出るのも大変です。中学1年から活躍していた九鬼隆平さんは、素晴らしい技術の持ち主だったんですね。

 

秀岳館に入学した九鬼隆平さんは野球部に所属。3年では主将を務めます。

主将となった九鬼隆平さんはチームを率い、春のセンバツと夏の甲子園に出場4強の結果を残しました。

 

甲子園の後に開催されたU-18アジア選手権大会に出場した九鬼隆平さん。秀岳館に続き主将に選ばれます。

4番打者として出場した大会は優勝。九鬼隆平さんは、最優秀守備選手として表彰されました。

 

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画像出典元:Twitter

 

2016年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから3位指名され、九鬼隆平さんの入団が決まります。

入団してから二軍で活動していた九鬼隆平さんは、2019年に一軍入り。代打として初出場します。

 

バッターボックスに入った九鬼隆平さん。投手の石川歩さんが投げた初球は、内角高めのカーブ。

危ないと思った九鬼隆平さんは、ボールを避けるためしゃがみこみます。

 

ボールは、九鬼隆平さんの頭部に吸い寄せられるように直撃。デッドボールとなりました。

九鬼隆平さんのプロ初出場がデッドボールという珍しい結果となりました。

 

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画像出典元:Twitter

 

九鬼隆平さんに怪我はなかったそう。

インタビューに「まるで当たりに行ったよう、投げた石川歩さんに申し訳ない」と語った九鬼隆平さん。

 

よけた九鬼隆平さんの先に頭があったことで危険球とならず、石川歩さんは退場になりませんでした。

投げた石川歩さんも、初球が頭に当たってしまうなんてビックリしたことでしょうね。

 

九鬼隆平さんは、プロになっても甲子園予選熊本大会を観戦しているようです。

 

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画像出典元:Twitter

 

やはり出身校の試合は気になるもの。予定を開けて観戦していたのでしょうね。

 

 

渡辺長助

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画像出典元:日刊スポーツ

 

渡辺長助さんは、秀岳館高校を卒業した元プロ野球選手です。

 

秀岳館のある熊本県八代市出身の渡辺長助さん。卒業後にバス会社の九州産業交通が運営する九州産交硬式野球部で社会人野球を続けます。

 

1978年のドラフト会議で、渡辺長助さんは阪神タイガースから3位指名を受け球界入り。

渡辺長助さんは、1982年に捕手として一軍初出場します。

1984年には開幕戦から先発出場。社会人野球から評判の強肩と投手を巧みに導く力で、自己最多となる42試合に出場しました。

 

ところが、1986年に渡辺長助さんは現役を引退します。

阪神タイガースには渡辺長助の他にも存在感のある捕手がいて、渡辺長助さんは準レギュラーとなっていたようです。

 

引退した後、渡辺長助さんは阪神タイガースに留まります。

渡辺長助さんはスコアラーや一軍のブルペンコーチ、二軍育成コーチなど選手のサポート役として活躍。選手寮の「虎風荘」5代目寮長も兼任していました。

 

球団を陰から支えた渡辺長助さんでしたが、2011年6月28日未明にこの世を去ってしまいます。亡くなったのはチームの遠征先である富山市の宿舎で、死因は心筋梗塞でした。

当日行われた試合には、阪神の首脳陣と選手は喪章をつけて哀悼の意を示していました

数々のコーチとして陰からサポートした渡辺長助さんは、球団から信頼されていたのでしょうね。

 




 

八久保颯

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画像出典元:超ワールドサッカー!

 

八久保颯さんは、秀岳館高校を卒業した元プロサッカー選手です。

 

熊本県人吉市出身の八久保颯さんは、小学時代にジュニアサッカークラブのひとよしFCに所属していました。

ひとよりFCに所属中の2005年には、U-12ナショナルトレセンの1人として個人のレベルを高めるトレーニング指導を受けていました。

 

ナショナルトレセンは、全国の各地域から選ばれた選手たちにトレーニング環境を提供し、サッカーの強化育成を行う場所。

八久保颯さんは、小学時代から将来を期待されていたのでしょうね。

 

中学生になると、ヴィラノーバ水俣に所属していた八久保颯さん。

秀岳館でもサッカーを続け、卒業後は阪南大学へ進学します。

 

阪南大学では、2014年と2015年の2年連続で全国大学選抜に選ばれます

 

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画像出典元:Twitter

 

2015年の第28回ユニバーシアード競技大会に出場し、銅メダルに貢献します。八久保颯さんは、ミッドフィルターとして中心的な活躍をしていました。

ミッドフィルターとは、守りと攻撃の中間にあるポジション。場面によって攻撃はもちろん、守備など臨機応変な役割を求められます。

八久保颯さんがミッドフィルターとして活躍していたから、銅メダルを獲得できたのでしょうね。

 

大学在学中に、ロアッソ熊本への加入が決まった八久保颯さん。

 

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画像出典元:Twitter

 

八久保颯さんの出身地である、熊本県のプロクラブに加入できることを喜んだことでしょうね。

 

ところが、プロ1年目となる2016年4月に熊本地震が発生。

チームや選手も被害を受ける中、八久保颯さんが7月にプロデビューしました。2戦目の出場でJ2の初得点を記録します。

翌年の2017年になると、八久保颯さんは出場数と特典数を伸ばし存在感を出します。2018年も好調で、先発で出場しフリーキッカーとして活躍していました。

 

2019年になると八久保颯さんの途中出場が多くなり、シーズン終了後に契約満了となります。

2020年に鈴鹿ポイントゲッターズに移籍しますが、2021年1月14日に現役引退が発表されました。

 

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画像出典元:Twitter

 

現役引退した八久保颯さんは、新たな一歩を進んでいるのでしょうね。

 

 

近藤貴耶

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画像出典元:テゲバジャーロ宮崎

 

近藤貴耶さんは、秀岳館高校を卒業した元プロサッカー選手です。

 

福岡県出身の近藤貴耶さんは、秀岳館高校、九州国際大学へ進学しサッカー部で活躍します。

九州国際大学を卒業した近藤貴耶さんは、テゲバジャーロ宮崎へ加入が決まります。

 

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画像出典元:Twitter

 

2017年の全国地域サッカーチャンピオンズリーグに、ミッドフィルダーとして6試合に出場していました。

全国地域サッカーチャンピオンズリーグは、各地域リーグの上位にいるクラブが、日本フットボールリーグへの昇進をかけて行う大会です。

 

2017年のテゲバジャーロ宮崎は、九州サッカーリーグを優勝していました。昇進をかけた試合に近藤貴耶さんが出場していたなんて凄いですよね。

全国地域サッカーチャンピオンズリーグで近藤貴耶さんは得点できませんでしたが、チームは日本フットボールリーグへ昇格を果たします。

 

テゲバジャーロ宮崎が昇格した2018年のシーズン終了後、近藤貴耶さんは契約満了となってしまいます。

退団後の近藤貴耶さんについての情報はありませんが、プロサッカー選手として戻ってきてほしいですね。

 

 

村上隆二

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画像出典元:中央録音システム

 

村上隆二さんは、八代第一高校(現・秀岳館高校)を卒業した南日本放送の社員で、報道記者として活躍する元アナウンサーです。

 

熊本県八代市出身の村上隆二さん。地元高校の秀岳館高校を卒業すると、西九州大学の家政学部社会福祉学科へ進学します。

大学在学中に、NBCラジオ佐賀で大学生向けの番組でパーソナリティとしてデビューします。

大学に在学する村上隆二さんが番組を担当することで、リスナーも共感することが多かったかもしれませんね。

 

1993年に西九州大学を卒業した村上隆二さんは、NBCラジオ佐賀(現・NBCソシア)に入社します。

大学在学中に担当した番組があったことで、アナウンサーとして目覚めたのかもしれませんね。

 

NBCラジオ佐賀でパーソナリティやディレクターとして活躍した村上隆二さん。1996年に退職し、個人事務所を設立します。

独立した後は、熊本県を拠点としたラジオDJやディレクター、ナレーターなどで活躍します。

 

2016年4月に発生した熊本地震で、前震と本震の第一報を伝えた村上隆二さん。熊本シティエフエムで、災害の初動対応について放送していました。

災害の起きた時に、少しでも多くの情報が欲しいもの。村上隆二さんが初期対応を伝えたおかげで、必要な情報を得られた人も多かったことでしょう。

 

熊本地震で被害の大きかった益城町に開局した、臨時災害放送局の「ましきさいがいエフエム」。

 

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画像出典元:Twitter

 

熊本地震から3年後の2019年3月に閉局するまで、村上隆二さんは人員集めや機材の無償貸与などを行っていました

熊本県出身で地震の第一報を伝えた村上隆二さんは、地域に密着した情報をいち早く届けたかったのでしょうね。

 

また、村上隆二さんは、万が一のために防災士やサービス介助士などの資格を取得したようです。

 

2019年に個人事務所を閉鎖した村上隆二さんは、鹿児島県へ移住し、南日本放送のアナウンサーとして入社します。

現在、報道部の記者として活躍する村上隆二さんは、地元に密着した情報を発信しているのでしょうね。

 

 

永冨裕尚

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画像出典元:ゲキサカ

 

永冨裕尚さんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

 

永冨裕尚さんは、秀岳館高校のサッカー部、出身地の福岡県北九州市のクラブチームニューウェーブ北九州U-18に所属しゴールキーパーを務めていました。

熊本県と福岡県は離れているので、移動だけでも大変だったかもしれません。

 

秀岳館高校を卒業した永冨裕尚さんは、中九州短期大学へ進学しサッカーを続けます。

 

2005年に中九州短期大学を卒業すると、ニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ北九州)へ加入します。

ニューウェーブ北九州は、永冨裕尚さんの出身地のクラブチームであり、高校時代に所属していたニューウェーブ北九州U-18の上部組織です。

当時のニューウェーブ北九州は、Jリーグに加入する前のチームで、九州リーグで活動していました。

 

翌年の2006年には、当時Jリーグに昇格していた岡山県の三菱自動車水嶋FCへ移籍

2009年のシーズン終了後に三菱自動車水嶋FCの降格が決まり、永冨裕尚さんはMIOびわこ草津(現・MIOびわこ滋賀)へ移籍します。

2014年の1年間レノファ山口で活動し、2015年からMIOびわこ滋賀に戻り活躍していました。

 

しかし、2021年のシーズン終了後、永冨裕尚さんの現役引退が発表されました。

 

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画像出典元:Twitter

 

11年間プロサッカー選手として活躍していた永冨裕尚さん。少し休んでから、新しいことに挑戦するかもしれませんね。

 




 

田浦文丸

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画像出典元:パ・リーグ.com

 

田浦文丸さんは、秀岳館高校を卒業したプロ野球選手です。

 

福岡県出身の田浦文丸さん。小学1年生の時に、平野リトルジャガーズに所属して軟式野球を始めます。

中学生になると硬式野球クラブの糸島ボーイズに所属。投手と外野手を兼任します。

試合をしていると投手を交代することがあります。外野手と兼任すれば、簡単に他の人と交代できますね。

 

中学2年生の夏に出場した全日本中学野球選手大会の準決勝で、田浦文丸さんは先発投手として活躍し、1-0の完封勝利をおさめます。

決勝相手は強豪のオール枚方ボーイズ。糸島ボーイズは、惜しくも準優勝となりました。

 

秀岳館高校に進学した田浦文丸さんは、野球部に所属。1年の秋からベンチ入りメンバーとなります。

全日本中学野球選手大会で完封勝利や準優勝の実績があったからでしょうね。

田浦文丸さんが2年生になると、秀岳館の野球部は4回連続で甲子園出場します。

 

  • 春:第88回選抜高等学校野球大会
  • 夏:第98回全国高等学校野球選手権大会
  • 春:第89回選抜高等学校野球大会
  • 夏:第99回全国高等学校野球選手権大会

 

甲子園は、県大会を勝ち抜いたり、成績の良い学校でないと出場できません。秀岳館の強豪ぶりがわかりますね。

 

高校2年の時に甲子園に出場した田浦文丸さんは、注目選手となっていたようです。

 

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画像出典元:Twitter

 

また、プロ野球選手で捕手として活躍する九鬼隆平さんは、田浦文丸さんの1学年先輩。2年生の田浦文丸さんは、3年生の九鬼隆平さんとペアを組んでいたようです。

 

田浦文丸さんが3年生の時に開催されたWBSC U-18ワールドカップに、投手として出場します。

 

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画像出典元:Twitter

 

当時の甲子園で優勝した花咲徳栄高校の清水達也さんも投手として選ばれていました。

日本代表の結果は3位。田浦文丸さんは、リリーフ選手として5試合、先発投手として1試合に出場し、救援部門でベストナインに選出されました。

 

2017年10月に行われたプロ野球のドラフト会議で、田浦文丸さんは福岡ソフトバンクホークスから5巡目で指名されます。

福岡ソフトバンクホークスは、秀岳館の1年先輩だった九鬼隆平さんのいる球団。秀岳館OBのバッテリーが見られると、ファンは喜んでいました。

 

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福岡ソフトバンクホークスに入団した田浦文丸さんは、2018年4月2日に三軍でデビュー公式戦初登板は、3番手に登板した5月1日でした。

 

翌年の2019年7月9日に一軍昇格。埼玉西武ライオンズ戦のプロ初登板で、2イニング打者6人をパーフェクトで押さえました

 

2020年に腰痛や左肩痛の体調不良で一軍での活躍がなかった田浦文丸さん。

2021年に開幕を一軍で迎えると、4月11日にプロ初勝利をあげます。前年に活躍できなかった分を取り戻すかのようですね。

 

2022年7月には、田浦文丸さんと九鬼隆平さんの秀岳館バッテリーが実現します。

 

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二軍で実現した秀岳館OBのバッテリー。一軍でも見たいですね。

 

 

中本匠栄

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画像出典元:日刊スポーツ

 

中本匠栄さんは、秀岳館高校を卒業した競輪選手です。

 

秀岳館高校に入学した中本匠栄さんは、自転車競技部に入部。2005年に岡山県で行われた国体に自転車競技で出場し、予選3位の成績を残しています。

 

競輪選手となるため、競輪の学校を受検した中本匠栄さん。男子で10倍前後とされる競輪学校に、6度目の挑戦で合格します。

 

日本競輪学校を卒業した中本匠栄さんは、2010年1月2日に高松競輪場でデビューし8着。翌日の1月3日に1着となり、初勝利を納めます。

 

2017年にS級2班入りした中本匠栄さんは、2019年7月1日にS級1班となります。

競輪は、大きくS級とA級のランクに分かれ、中本匠栄さんのS級は上位ランクです。

 

ランク人数
S級S班9名
S級1班約220名
S級2班約450名
A級1班約550名
A級2班約550名
A級3班約450名

 

競輪選手としてデビューした時のランクはA級3班。中本匠栄さんは、コツコツと成績を残していたことがわかります。

最上位のS級S班は9名だけ。前年のG1優勝者と賞金上位で構成された最強の選手となっています。

S級1班は上位10~230人で構成され、中本匠栄さんはトップクラスの競輪選手として活躍しています。

 

2020年9月に行われたG2レースで、中本匠栄さんは初優勝を飾ります。

 

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画像出典元:Twitter

 

G2レースは、S級でも上位選手しか参加できないグレードレース。上位選手の中で中本匠栄さんが初優勝したのは、凄いことです。

 

また、レースを開催した伊藤競輪は、中本匠栄さんが頚椎を骨折する大けがをした苦手意識のある競輪場でした。

優勝できたことで、苦手意識を払しょくできたかもしれません。

中本匠栄さんの今後の活躍に期待したいですね。

 

 

中島弘美

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画像出典元:MUUSEO

 

中島弘美さんは、秀岳館高校を卒業した元プロ野球選手です。

 

熊本県出身の中島弘美さんは、秀岳館高校の野球部で投手として活躍します。

1972年に開催された夏の甲子園予選では、中九州大会の準決勝に進出します。対戦相手は大分県の津久見高校。甲子園の優勝校でした。

中島弘美さんは津久見高校の水江正臣さんとの投げ合いに敗れ、甲子園に出場できませんでした。

 

1972年に行われたドラフト会議では、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)から1位指名を受けます。

中島弘美さんの投球は高く評価され、1位指名だったようです。

 

当時の西鉄ライオンズは、西日本鉄道を親会社とする福岡県の球団でした。

1972年シーズンで西日本鉄道の撤退が決まっており、中島弘美さんは西鉄ライオンズ最後のドラフト選手となりました。

 

西鉄ライオンズは、1973年から福岡野球の運営する太平洋クラブライオンズと名称が変更されました。

福岡野球は、1972年までロッテオーナーだった中村長芳さん。球団存続のためにオーナーをロッテに譲渡していました。

 

しかし、他の球団のように親会社のない個人企業だったため、経営は苦しかったんだとか。

太平洋クラブライオンズ当時の話をまとめた本が出版されていました。

 

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球界入りした中島弘美さんは、1973年にアメリカへ野球留学。中島弘美さんに投手として腕を磨いてもらい、球団を盛り上げてほしかったのでしょうね。

 

日本に戻った中島弘美さんは、1973年9月27日に初登板。8回裏から登板した中島弘美さんは、1回無失点の結果を残します。

初先発と初勝利も1973年。10月3日の5回を3失点に抑えました。

 

順調に見えた中島弘美さんでしたが、その後目立った活躍はなく、1978年のシーズン後にプロ選手を引退します。

引退までに一軍で登板したのは、3試合と記録されています。

 

実は、1978年10月に球団が西武グループへ売却され、本拠地も埼玉県へ移ることが発表されていました。

九州出身の中島弘美さんは、九州から離れたくなかったのかもしれませんね。

 

1981年に九州佐川急便(現・佐川急便)に入社した中島弘美さん。1992年から4年間、社会人野球の監督を務めていました。

 

また、1990年から10年もの間、少年野球連盟ボーイズリーグ朝倉ドジャースの監督も務めていました。

長い期間に監督を務められたのは、指導内容が良く、成績も安定していたからでしょうね。

 

 

藤吉優

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画像出典元:日刊スポーツ

 

藤吉優さんは、秀岳館高校を卒業した元プロ野球選手です。

 

福岡県出身の藤吉優さん。小学生の頃ソフトボールチームの今光ライオンズに所属していました。

中学生になり、福南ボーイズ硬式野球を始めます。

 

ソフトボールと硬式野球は、ボールの大きさやグラウンドの広さ、使用するグローブなどに違いがあります。

硬式野球は、ソフトボールよりボールの大きさが小さく、グラウンドが大きく、グローブが変わるので、慣れるまで大変だったでしょうね。

 

秀岳館高校へ進学した藤吉優さんは野球部に入部。1年生の秋から捕手としてスタメンに起用されます。

3年生になると主将を務め、3年生の夏に行われた熊本大会で、投手としても活躍していました。

延長11回までもつれた試合の結果は、残念ながら秀岳館のサヨナラ負け。試合後に藤吉優さんは泣き崩れたそうです

 

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画像出典元:Twitter

 

高校3年間の集大成、主将として挑んだ夏の大会。延長まで戦って負けてしまったことが悔しかったのでしょうね。

対戦相手の東海大星翔高校の選手は、秀岳館との感想を投稿していました。

 

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当事者たちも、どちらが勝ってもおかしくなかったと認めるほどの試合だったんですね。

秀岳館で同学年の藤吉優さんと宮本秀明さんは、対戦相手も一目置く選手だったようです。

2014年のNPB育成ドラフト会議で、藤吉優さんは中日ドラゴンズから3巡目で指名。育成選手として入団が決まりました。

 

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入団した2015年に右肘を負傷してしまい、出場はウエスタン・リーグ公式戦1試合のみ。

翌年の2016年には、ウエスタン・リーグ公式戦の6試合に出場し2得点。2017年は、ウエスタン・リーグ公式戦16試合に出場します。

出場する試合が増えていましたが、打率は1割2分9厘と伸びませんでした。

 

2017年シーズン後に育成選手の規定で自由契約選手となった藤吉優さんは、12月8日に退団を発表します。

環境を変えてやり直したい」という藤吉優さんのアマチュア野球への転向を球団も尊重したようです。

 

退団後の藤吉優さんの情報はありませんが、アマチュア野球で活躍していると期待したいですね。

 




 

宮本秀明

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画像出典元:Yahoo!JAPANニュース

 

宮本秀明さんは、秀岳館高校を卒業したプロ野球選手です。

 

熊本県八代市出身の宮本秀明さんは、小学生から軟式野球を始めます。

中学生になると、中学生を対象とした硬式野球チームの熊本南シニアに所属して腕を磨いていました。

 

秀岳館高校へ進学すると、2年生で遊撃手のレギュラーに選ばれます。

選手が多い部活だと、レギュラーになるのは3年生がほとんどです。遊撃手は、2塁と3塁の間を守る「守備の華」と呼ばれることも。

 

2年生でレギュラーになった宮本秀明さんは、当時から高い技術の持ち主だったのでしょうね。

3年生になると、宮本秀明さんは三塁手へ転向します。秀岳館に進学してきた松尾大河さんに遊撃手の守りをまかせたようです。

 

秀岳館を卒業した宮本秀明さんは、パナソニックへ入社。社会人野球の公式戦に1年目から内野手として出場します。

宮本秀明さんは高い技術は、社会人野球も認めるほどだったようです。

 

3年目になると、宮本秀明さんは内野手から外野手に転向しました。どの守備になっても対応できるのは、高い技術を持つ宮本秀明さんだからこそですね。

社会人野球の時代の宮本秀明さんがこちらです。

 

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宮本秀明さんの後ろ姿が頼もしいですね。

 

2017年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから7位指名された宮本秀明さん。外野手で活躍していましたが、ドラフトでは内野手として指名されていました。

 

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どの守備でもできる宮本秀明さんだから、内野手として欲しかったのかもしれませんね。

 

宮本秀明さんは、すでに横浜DeNAベイスターズへ入団していた秀岳館のOB松尾大河さんと、再びチームメイトになりました。

宮本秀明さんが横浜DeNAベイスターズから指名されると、秀岳館コンビの活躍を期待する声があがります。

 

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入団すると、松尾大河さんと一緒にいる宮本秀明さんの写真が投稿されます。

 

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ファンは、秀岳館コンビの活躍を期待していたようです。

 

入団してすぐの2018年公式開幕戦を、一軍でスタートした宮本秀明さん。公式戦デビューは代打で、3月30日に行われた開幕戦の9回裏でした。

一軍公式戦初安打は、4月25日のホームラン

 

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画像出典元:Twitter

 

翌日の26日には、2番打者の二塁手としてスタメン出場し、2試合連続ホームランを果たします。

入団してすぐ一軍に出場するのも大変なのに、ホームランを打つなんて凄いですよね。

 

開幕で調子の良かった宮本秀明さんでしたが、5月になると一軍から離れてしまいます。

二軍のイースタン・リーグ公式戦に出場した宮本秀明さんは、9月の月間MVPを受賞します。12試合に出場して、安打が10試合、複数安打は5試合。打率3割7分のリーグ2位でした。

 

また、宮本秀明さんは、イースタン・リーグ公式戦33試合で外野を守っていました。

社会人野球時代に外野を守っていた宮本秀明さんは、プロで内野手登録されていても外野を守れる技術の持ち主だったんですね。

2019年になると、宮本秀明さんは正式に外野手とりました。

 

2020年以降、一軍と二軍の両方に出場する宮本秀明さん。一軍の定着メンバーとしての活躍を期待したいですね。

 

 

豊永隆盛

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画像出典元:ミドルエッジ

 

豊永隆盛さんは、秀岳館高校を卒業した元プロ野球選手です。

 

熊本県出身の豊永隆盛さんは、秀岳館の野球部でエースを務めました。

1964年に行われた秋季九州大会県予選、1965年夏の甲子園予選ともに準決勝に進出。

甲子園には出場しませんでしたが、豊永隆盛さんは秀岳館の投手として130試合を行い、120勝8敗2引き分けという結果を残しています。

 

また、エースだった豊永隆盛さんは、四番打者としてホームランを21本打っていました。

四番打者は、一番から3番打者が出塁し得点するチャンスが高い順番です。

 

例えば、一番打者から三番打者まで出塁していた時、四番打者がホームランを打てば一気に4点が入ります。

チームの中でバッティングに優れた人が選ばれる四番打者。豊永隆盛さんは投打ともに優れた選手だったようです。

 

豊永隆盛さんは、1965年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名されます。

社会人野球のある熊谷組に入社を希望していた豊永隆盛さんでしたが、ドラフトで指名されたことで球界入り

入団した1966年に初登板します。

 

ところが、豊永隆盛さんは肘を痛めてしまい、思うような結果が出せませんでした。

1973年で現役引退した豊永隆盛さんは、中日に残り打撃投手とスコアラーを務めました。

打撃投手とは打者の打撃練習のための投手で、試合に出場しない投手です。肘を故障した豊永隆盛さんは、選手と球団を陰から支える存在だったようです。

 

2008年に中日ドラゴンズを退団した豊永隆盛さん。

中日ドラゴンズ時代同僚だった渡部司さんが主宰する渡部野球塾でコーチを務めています

 

渡部野球塾は野球の技術向上を目的とした場所で、チームで試合をすることがありません。

基本的なトレーニングから専門的な技術、野球を通したマナーや礼儀についても指導してくれます。

豊永隆盛さんは、打撃投手として多くの選手を見てきた実績があります。野球で悩む子供たちを導いてくれることでしょう。

 

 

松尾大河

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画像出典元:福岡北九州フェニックス

 

松尾大河さんは、秀岳館高校を卒業したプロ野球選手です。

 

大阪府出身の松尾大河さん。小学時代に軟式野球を始め、中学になると硬式野球の強豪チームであるオール枚方ボーイズに所属します。

オール枚方時代の2013年には、全国の中学硬式野球チームの日本一を決める5つの大会で優勝を経験していました。

中学5冠と言われ、中学野球史上初のことでした。

 

秀岳館高校へ進学すると、1年の春から2番打者の遊撃手として試合に出場します。

 

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大阪の強豪チームで活躍していた松尾大河さんは、誰もが認める選手だったようです。

 

松尾大河さんは、高校3年生の選抜高等学校野球大会でホームランを打つなど、19打数6安打、3打点の活躍ぶり。秀岳館はベスト4となりました。

夏の熊本大会では順調に勝ち進み、秀岳館は15年ぶりに甲子園へ出場を果たします。。

松尾大河さんは、甲子園で16打数7安打の活躍を見せます。秀岳館は準決勝まで進み、春夏連続でベスト4となりました。

 

3年生になった松尾大河さんは好調で、甲子園の後に行われた侍ジャパンU-18の代表に選ばれます

 

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松尾大河さんはBFA U-18アジア選手権大会に出場し、大会の首位打者となりました。

 

2016年のプロ野球ドラフト会議で、松尾大河さんは横浜DeNAベイスターズから3位指名され入団が決まりました。

 

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横浜DeNAベイスターズに入団した松尾大河さんは、二軍のイースタン・リーグに出場。2017年4月22日に満塁ホームランを放ちます。

その後もイースタン・リーグで活躍し、102試合に出場しました。

11月25から12月17に開催されたアジアウインターベースボールリーグに、松尾大河さんはNPBイースタン選抜として出場し、見事優勝しました。

 

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2018年も一軍での活躍はありませんでしたが、イースタン・リーグの95試合に出場していました。。

松尾大河さんは、10月に開催された2018WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選ばれ、全試合に出場。日本代表は準優勝となりました。

 

代表選手は、各ポジション複数人選ばれます。全試合に出場した松尾大河さんは、好調だったのかもしれませんね。

 

2019年もイースタン・リーグで活躍しますが、思うような成績を出せませんでした。

球団から契約満了を告げられた松尾大河さんは、琉球ブルーオーシャンズに入団することが決まりました。

琉球ブルーオーシャンズは、2020年から始まった沖縄発のプロ野球チーム。松尾大河さんは、初期メンバーとして入団しました。

 

2021年8月、チーム関係者がコ○ナに感染し活動があやぶまれていました。

さらに、複数のコーチと選手が球団規律違反をしていたことも判明し、球団が活動休止となってしまいます。

 

松尾大河さんは感染も規律違反もしていなかったので、茨城アストロプラネッツに派遣され野球活動を続けていました。

派遣先の茨城アストロプラネッツでホームランを打つ活躍をしますが、派遣終了後に琉球ブルーオーシャンズから契約満了を告げられてしまいます。

 

2022年2月18日に福岡北九州フェニックスが行った体制発表会で、松尾大河さんが所属選手として紹介されました。

福岡北九州フェニックスは、2022年からリーグ戦に参加する球団。琉球ブルーオーシャンズ同様、松尾大河さんは初期メンバーとなりました。

九州は、秀岳館高校で慣れ親しんだ土地。福岡北九州フェニックスに入団した松尾大河さんは、ヒットを重ねるほど好調なようです。

 

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今後の活躍に期待したいですね。

 

 

岩山寛人

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画像出典元:三菱自動車水嶋FC

 

岩山寛人さんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

 

熊本県出身の岩山寛人さんは、秀岳館高校でサッカー部に所属していました。

 

秀岳館を卒業すると、岡山県にある三菱自動車水島FCに所属してサッカー選手として活動します。

岩山寛人さんはディフェンダーで、自軍のゴールを守りつつ相手からボールを奪うポジション。リーグ戦に出場はしていませんでしたが、ロングキックと高いヘディングを武器にしていました。

 

当時の三菱自動車水島FCは日本フットボール協会で活動していましたが、経営が悪化2010年に都道府県リーグの岡山リーグ1部へ降格となります。

都道府県リーグの岡山リーグは、地域リーグより下のカテゴリ。

 

大きいカテゴリ順にリーグをまとめたのがこちらです。

  1. 日本フットボールリーグ
  2. 地域リーグ
  3. 都道府県リーグ

日本フットボールリーグにいた三菱自動車水島FCは、一気に2つ下がったことになります。

岩山寛人さんは、クラブ経営の厳しい中サッカーを続けていたのでしょうね

 

2010年の三菱自動車水島FCは、岡山リーグ1部の全試合に勝利し優勝します。

人員整理などを行ったとはいえ、日本フットボールリーグに所属していたクラブ。優秀な人材が残っていたようです。

岡山リーグ1部を優勝したことで、2011年から三菱自動車水島FCの中国リーグ昇格が決まりました。

 

ところが、クラブが上向いてきた2012年で、岩山寛人さんは三菱自動車水島FCを離れていました

岩山寛人さん自身、新しい環境に身を置きたくなったのかもしれませんね。

 




 

上田隆央

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画像出典元:三菱自動車水嶋FC

 

上田隆央さんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

熊本県出身の岩山寛人さんは、秀岳館高校でサッカー部に所属していました。

 

秀岳館を卒業すると、岡山県にある三菱自動車水島FCに所属してサッカー選手として活動します。

上田隆央さんはフォワードで、相手ゴールに一番近いポジション。得点を取ることが主な役割です。

 

2008年のリーグ戦に、上田隆央さんは2試合出場していました。残念ながら、得点はとれなかったようです。

上田隆央さんは、チームが日本フットボールリーグから降格が決まった2009年で三菱自動車水島FCを退団していました。

退団するまでに、自分の進退や仲間などで悩んだことでしょうね。

 

上田隆央さんは、2014年に設立したビーチサッカーチームのハレクティオ岡山に所属し、2016年は全国ビーチサッカー大会に出場しています。

ビーチサッカーはブラジル発祥とされ、欧米を中心に普及しているスポーツです。

 

基本的なルールは11人制サッカーと同じですが、ビーチサッカーは砂浜で行いプレー人数は5人です。プレーする人数が少ないこともありコートの広さも小さく、試合時間は12分×3ピリオド制です。

外国では有名選手がビーチサッカーに転向することもあるようです。

日本ではメジャーではありませんが、これから普及する可能性がありますね。

 

また、上田隆央さんは、おかやまビーチスポーツ協会の役員に名を連ね、ビーチスポーツの普及に努めているようです。

 

 

大岩亮太

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画像出典元:ザスパLOVER

 

大岩亮太さんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

 

熊本県八代市出身の大岩亮太さんは、地元にある秀岳館高校へ進学しサッカー部に所属します。

2014年にサッカー部の主将となった大岩亮太さんは、部員211人をまとめていました。

 

当時の秀岳館高校のサッカー部では過去一番の部員数だったそう。

人数が多いと、意見を聞くだけでも大変です。大岩亮太さんは、部員の意見をよく聞いていたのでしょうね。

 

大岩亮太さんが主将になると、秀岳館は全国高校サッカー選手権に初出場します。

主将となった大岩亮太さんが、チームをまとめあげていたからこそ出場できたのでしょうね。

全国高校サッカーの1回戦で、大岩亮太さんが対戦相手と握手する写真がこちら。

 

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両手でしっかり握手しています。試合前から好感度が上がりますね。審判も見ていて爽やかな気分になったことでしょう。

実は、全国高校サッカーの前に、大岩亮太さんのザスパクサツ群馬への加入が決まっていました。

 

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契約期間は3年間。卒業後のJリーガーが決まっていたら、大きな態度になってしまいそうです。

握手する姿を見る限り、紳士的な対応です。大岩亮太さんの優しい人柄がわかるようですね。

 

また、2015年のザスパクサツ群馬春季キャンプが、秀岳館のある八代市に決まりました

 

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大岩亮太さんのザスパクサツ群馬への加入がきっかけだそう。

春季キャンプは、シーズン前に選手たちがトレーニングする場所。プロのサッカー選手を身近で見れるチャンスは少ないので、見学したくなりますよね。

 

2016年になると、大岩亮太さんは群馬県リーグ1部のtonan前橋サテライトへ育成型期限付きで移籍します。

育成型期限付き移籍とは、18から23歳の選手が、所属するクラブより下位カテゴリ所属クラブへ期限付きで移籍することです。

大岩亮太さんは2016年に20歳だったので、育成型期限付き移籍となったようです。

 

2016年シーズンが終了とともに育成型期限付き移籍期間が満了となった大岩亮太さんは、ザスパクサツ群馬との残り1年の契約を解除し、自主退団となりました。

退団した後は、大学への進学を考えているそうです。

 

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八代市に戻った大岩亮太さんは、2015年から地元サッカークラブの八代フューチャーズに所属して、サッカーを続けているようです。

 

 

石川裕起

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画像出典元:三菱自動車水嶋FC

 

石川裕起さんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

 

熊本県出身の岩山寛人さんは、秀岳館高校でサッカー部に所属していました。

秀岳館を卒業すると、岡山県にある三菱自動車水島FCに所属してサッカー選手となります。

 

石川裕起さんは、秀岳館の先輩である永冨裕尚さんを慕い入団したそう。

永冨裕尚さんはポジションも同じゴールキーパー。同じ学校の先輩が活躍しているクラブなら、入団したくなりますよね。

 

ところが、石川裕起さんが加入したシーズンで三菱自動車水島FCの降格が決まり、憧れだった永冨裕尚さんは他のチームへ移籍してしまいました。

クラブに残った石川裕起さんは、2013年シーズンでの退団を決意したようです。

 

三菱自動車水島FCを退団した石川裕起さんは、2016年の全国ビーチサッカー大会に出場していました。

出場したチームは、ハレクティオ岡山。三菱自動車水島FCでチームメイトだった上田隆央さんの所属するビーチサッカーのチームです。

退団した石川裕起さんに、上田隆央さんが声をかけたのかもしれません。

 

2019年の大会に石川裕起さんは出場していないので、新しいことに挑戦している可能性もありますね。

 

 

車東訓

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画像出典元:FC岐阜

 

車東訓さんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

 

韓国出身の車東訓さん。中学を卒業すると秀岳館高校へ進学します。

秀岳館ではサッカー部に所属し、ポジションはフォワードでした。

 

2009年に秀岳館を卒業すると、FC岐阜へ加入します。

当時のFC岐阜は、J2に昇格して2年目。前シーズンに15人退団したため、車東訓さんを含む新しい選手を獲得していました。

 

車東訓さんは、加入した2009年7月にFC刈谷に期限付き移籍となります。2009年のシーズンが終了しFC刈谷との契約が満了となると、車東訓さんはFC岐阜へ戻らず退団することになりました。

退団の理由は、本人の希望だったそうです。

2010年1月にMSU(現・テゲバジャーロ宮崎)へ入団しますが、背番号の決定前に退団してしまったようです。

 




 

ターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラ

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画像出典元:サッカーダイジェスト

 

ターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラさんは、秀岳館高校を卒業したサッカー選手です。

 

秀岳館に入学するまでターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラさんは、出身地であるブラジルに住んでいました

ブラジルでサッカークラブに所属していたターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラさん。ポジションは攻めと守りを行うミッドフィルダーです。

 

クラブ名はパラナ・サッカー・テクニカル・センターで、日系ブラジル人の医師や弁護士を含むグループが創設していました。

日系人の創設したクラブに所属していた縁で、ターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラさんは日本の高校へ進学したんですね。

 

高校3年生の2020年12月22日に、2021年シーズンからロアッソ熊本への加入が発表されました。

進学のために来日したターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラさんにとって、秀岳館のある熊本県は第2の故郷。加入するクラブチームの本拠地が熊本県で嬉しかったことでしょうね。

2021年にロアッソ熊本に入団すると、5月16日の後半途中に出場しJリーグデビュー。7月11日の試合では、Jリーグ初ゴールを決めます。

 

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2022年1月6日に、ターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラさんの名古屋グランパスへの完全移籍が決まりました。

ただし、2022シーズンは、名古屋グランパスから期限付き移籍としてロアッソ熊本に残留しています。

 

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熊本から名古屋への移籍が決まっているターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラさん。

名古屋に行っても秀岳館のある熊本が、日本の故郷であってほしいですね。

 

 

ペドロ・エンヒケ・カンポス・ダ・コスタ

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画像出典元:藤枝MYFC

 

ペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんは、秀岳館高校を卒業したサッカー選手です。

 

秀岳館に入学するまでペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんは、出身地であるブラジルに住んでいました

ブラジルでサッカークラブに所属していたペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさん。ポジションは攻めと守りを行うミッドフィルダーです。

秀岳館高校でペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんは、どのポジションでもできるという情報も。

 

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サッカーのどのポジションでもできるなら、活躍する機会も増えます。

また、ポジション別の役割や動きもわかるので、全体を把握することもできそうです。

 

2021年12月15日に、ペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんの藤枝MYFC加入が決まりました。

 

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藤枝MYFCは、Jリーグに加盟する静岡県のサッカークラブです。

熊本からクラブのある静岡への移動には、心強い仲間がいました。秀岳館で同じサッカー部に所属するカウアン・ライア・リマさんも、藤枝MYFCに加入するからです。

 

試合の遠征は短期間が多いものです。所属するチームが変われば長期間となり慣れない場所だと心細くなってしまいます。

ペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんとカウアン・ライア・リマさんが一緒に加入したのは、技術を認めただけでなく2人が心細くならないように配慮したのかもしれませんね。

 

 

カウアン・ライア・リマ

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画像出典元:ジュニアサッカーNEWS

 

カウアン・ライア・リマさんは、秀岳館高校を卒業したサッカー選手です。

 

秀岳館に入学するまでカウアン・ライア・リマさんは、出身地であるブラジルに住んでいました

ブラジルでサッカークラブに所属していたカウアン・ライア・リマさん。ポジションは守りのディフェンダーです。

 

2021年12月15日に、カウアン・ライア・リマさんの藤枝MYFC加入が決まり、一緒に加入するペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんとの加入内定会見が実施されました。

 

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画像出典元:Twitter

 

左にいるのがカウアン・ライア・リマさんで184センチ、右にいるのがペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんで170センチです。

身長差は14センチ

カウアン・ライア・リマさんの身長が高いので、ペドロ・エンリケ・カンポス・ダ・コスタさんが小さく見えてしまいますね

ディフェンダーのカウアン・ライア・リマさんは、技と大きな体でボールを守ってくれそうです。

 

 

パブロ・ヤン・フェレイラ

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画像出典元:Jリーグ.jp

 

パブロ・ヤン・フェレイラさんは、秀岳館高校を卒業した元サッカー選手です。

 

ブラジル出身のパブロ・ヤン・フェレイラさんは、曾祖母が日本人の日系ブラジル人です。

来日前は、ブラジルサンパウロ州を本拠地とするリオ・プレトECというサッカークラブに所属していました。

 

パブロ・ヤン・フェレイラさんの日本でサッカーをプレーしたいという思いは強く、来日してFC岐阜U-15へ入団します。

秀岳館へ進学し熊本県八代市に引っ越したパブロ・ヤン・フェレイラさんは、日本人として帰化していました。

日系ブラジル人だったパブロ・ヤン・フェレイラさんは、帰化したことで身も心も日本人になったようです。

 

フォワードとしてプリンスリーグ九州1部に出場したパブロ・ヤン・フェレイラさんは、21得点をあげ得点王となります。

プリンスリーグ九州1部は、高校生の年代が参加するサッカー大会の1つです。

 

サッカーは相手チームが攻撃を阻止するため、得点するのが難しいスポーツです。パブロ・ヤン・フェレイラさんが得点王となれたのは、高い技術があったからなのでしょうね。

秀岳館と天皇杯で試合をした人は、高いシュート力を持つパブロ・ヤン・フェレイラさんが恐かったとコメントしていました。

 

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画像出典元:Twitter

 

天皇杯は、2014年まで高校年代も参加していました。

実は、他の大会と日程が重なることが以前から問題視されていました。18歳以下のリーグ戦や大会が増えたことが原因です。

天皇杯に高校年代が出場しなくなったことで、同年代の大会に集中できるようになったようです。

 

2012年10月31日、パブロ・ヤン・フェレイラさんのロアッソ熊本に加入が決まりました。

 

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画像出典元:Twitter

 

秀岳館から地元のサッカーチームへの加入に、喜ぶ人は多かったようです。

パブロ・ヤン・フェレイラさんの高い技術が、ロアッソ熊本に評価されたのでしょうね。

 

2013年のシーズンが始まると、パブロ・ヤン・フェレイラさんは7月9日から12月31日までヴォルカ鹿児島へ期限付き移籍となりました。

下のカテゴリへ期限付きで移籍することで、経験を積ませようとしたのかもしれません。

 

移籍期間が終わり2014年にロアッソ熊本へ復帰しますが、トレーニング中にケガをしてしまいます。

靱帯断裂の重傷で、2014年に復帰できませんでした。

ファンは、パブロ・ヤン・フェレイラさんのケガを聞き心配していました。

 

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画像出典元:Twitter

 

靱帯は、関節を補強する役割があり、足を使うサッカー選手にとって大切な部分です。長期の治療になれば、リハビリも必要になり、復帰までに時間がかかってしまいます。

 

2015年にケガを克服したパブロ・ヤン・フェレイラさんは、FC鈴鹿ランポーレ(現・鈴鹿ポイントゲッターズ)に期限付きで移籍します。移籍先のFC鈴鹿ランポーレで主力メンバーとしてプレーしますが、1得点と伸び悩みます。

 

2015年シーズンでロアッソ熊本の契約満了になると、鈴鹿アンリミテッド(現・鈴鹿ポイントゲッターズ)へ完全移籍しました。

その後、2018年12月7日にパブロ・ヤン・フェレイラさんの現役引退が発表されました。

 

秀岳館と聞くと、パブロ・ヤン・フェレイラさんを思い出すファンがいるようです。

 

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画像出典元:Twitter

 

現役を引退しても思い出すファンがいるほど、パブロ・ヤン・フェレイラさんは魅力的な選手だったようですね。

 




秀岳館高校のサッカー部コーチによる暴力事件が発覚

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暴力をふるう動画がSNSで拡散し、次々に問題が発覚した事件です。

できるだけ時系列に沿って事件を見ていきます。

 

SNSに投稿された暴行動画の拡散

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拡散された動画には、暴力をふるうサッカー部の30代男性コーチが映っていました。

 

問題の場所は男子サッカー部の寮内。サッカー部の部員2名が2022年4月20日の夕方に撮影、SNSに投稿したそうです。

暴力の内容は、ジャージを着た男性コーチが、制服姿の3年生部員の背中を殴ったり、尻を蹴るものでした。

 

躊躇せず力任せに暴行をふるう動画に、ショックを受けた人も多かったようです。

動画の撮影は、狙ってできるものではありません。暴行が突然起こったなら、スマートフォンを用意して撮影するまで時間がかかります。暴行現場を撮影できていることから、以前から暴力があったと考えられます。

 

投稿された暴行動画は瞬く間に拡散され、第三者の通報で夕方には学校側も動画を把握し、調査を開始します。

 

また、暴行動画は熊本県警の八代署にも通報され、動画拡散の翌日21日の朝には関係者3人から事情聴取しています。

 

さらに、拡散された暴行動画は、メディアで取り上げられ注目を集めることに。

秀岳館は、「警察が調べているので、捜査に支障ないよう学校でも事実確認を進める」とコメントしていました。

 

動画拡散と暴力の日常化

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コーチが生徒を暴行する動画の拡散とともに、秀岳館では日常的に暴力があったという投稿も出てきます。

実際のTwitterの投稿をいくつかご紹介します。

 

まずは、サッカー部に入る予定だった1年生が、何人も辞めてる内容です。

 

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画像出典元:Twitter

 

監督が暴力といじめを認めないという内容は、事情を知る人でないと発言できません。投稿者の身近な人が、秀岳館サッカー部員の可能性もありますね。

 

次に、暴力などの噂が秀岳館にあったとわかる投稿です。

 

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画像出典元:Twitter

 

「やっぱ」の言葉に、暴力が日常的と想像できますね。

 

また、秀岳館では、以前から暴力があったような投稿も。

 

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画像出典元:Twitter

 

内容から、秀岳館の卒業生とわかります。投稿者の学生時代から、暴力などの暗い噂はあったようです。

 

サッカー部員による謝罪動画の投稿

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2022年4月22日夕方に、秀岳館サッカー部公式SNS上で、部員11人の謝罪動画が公開され、翌日に削除されます。

 

謝罪動画は2分20秒で、登場するのは3年生のサッカー部員11人。全員がマスクを外した状態で顔を出し、自分の名前を名乗っていました。

当時、生徒の自主的な行為とされていましたが、疑問に思う人は多かったようです。

 

サッカー部員の謝罪は翌日に削除されたため、現在動画を確認できません。暴力事件で注目を集めた時期だったこともあり、再生回数は100万回を超えていたそうです。

ここでは、動画の概要をご紹介します。

 

まず、キャプテンのお詫びから始まります。

事実と異なる情報があるので、謝罪動画を拡散してほしいと前置きしています。

 

次に登場するのが、コーチから暴行を受けた被害者の部員です。

暴行の原因は、自分の発言にあったと話します。寮の鍵がなかなか開かず、コーチを馬鹿にするような言葉を感情的に言ってしまったそうです。

日常的に暴力がなかったとも発言しています。

 

次に、暴行現場を撮影した2人の部員が登場します。

動画を撮影しSNSに投稿したと告白しています。

 

撮影後に監督へ相談も考えたようですが、感情的になりSNSに投稿したようです。

動画の投稿により、事実と異なることがマスコミに報道され、誹謗中傷にあっているとも。

大きなことになると思っておらず、たくさんの人に迷惑をかけてしまったと謝罪しています。

 

キャプテンが登場し、もう一度謝罪します。

SNSでは、日常茶飯事に暴行が行われているなどの誹謗中傷を受けてサッカー部が苦しんでいる事、報道陣が集まり不安を抱える生徒もいると告白します。

自分たちが成長し、サッカーを通じて信頼を回復していく、と前向きな発言で動画が終わっていました。

 

拡散をお願いしていたサッカー部員の謝罪動画は、投稿の翌日となる4月23日の午後削除されます。

謝罪動画を投稿したことで、学校や監督、コーチに迷惑をかけてしまったという理由でした。

世間では、「被害者がなぜ謝罪するのか」、「生徒を守る大人が出ないのはなぜ」という声が上がっていたようです。

 

男性コーチの退職願とサッカーの試合延期

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2022年4月23日、暴力を行った男性コーチが秀岳館に退職願を提出していました。

暴力行為を警察が捜査中のため、秀岳館は退職願を保留していることも判明しました。

 

また、メディアなどで秀岳館の暴力行為が報道されたこともあり、4月23日と24日に予定されていた、熊本県サッカーのリーグ戦6試合が延期。その後も5月8日まで3週にわたり試合が延期されました。

暴力行為の発覚で、高校生活の貴重な試合の機会が失われていく熊本県のサッカー部。日程は予備日などで調整できても、過密日程になると全力を出せなくなってしまいます。

 

サッカー部監督のテレビ生出演と生徒への不適切発言流出

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2022年4月25日、秀岳館サッカー部の段原監督が、テレビ番組の『スッキリ』に生出演しました。

サッカー部の暴行事件から始まった騒動について、謝罪していました。

 

さらに、

  • 暴力は根絶されるべきもの
  • 責任は大人にある
  • 子供たちのためにコーチたちの力も必要

とも語っていました。

 

ただ、暴力の謝罪をした当日に、段原監督の恫喝音声が流出してしまいます。

 

監督が恫喝した相手は、暴行を撮影した部員2人。

  • 暴行動画を撮影した2人は、騒動の加害者
  • 自分(監督)は被害者。被害者として2人を訴えたらどうなる?
  • 損害賠償請求になるだろう

段原監督は、流出した動画の中で暴行動画を投稿した部員を「加害者」と発言していました。

 

『スッキリ』での段原監督の「私が責められるのは大丈夫」という言葉がウソとばれてしまいました。

 

秀岳館高校は流出した不適切発言を認め、翌日2022年4月26日に謝罪。段原監督は自宅謹慎となります。

また、生徒に暴行を加えた男性コーチは、4月26日に書類送検されたと判明しました。

 

秀岳館の調査と明らかになる他の暴力行為

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段原監督がテレビ番組に生出演した2022年4月25日に、秀岳館では学年ごとに集会で生徒に謝罪と聞き取りを行っていました。

秀岳館が2022年5月5日に行った会見によると、事件とは別にサッカー部の暴力行為が38件判明しました。

 

暴力行為の内訳は、職員から生徒が25件で、生徒間が13件。

男性コーチは、職員から生徒への暴力24件に関わり、5人にケガをさせていたことも判明しました。

サッカー部で生徒への暴力は、書類送検された男性コーチによるものだったようです。

 

秀岳館は「暴力が毎日行われていたと思っていないが、件数は多い」と認め、責任を口にしていました。

 

生徒の謝罪動画に関与していた段原監督

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秀岳館の記者会見で、2022年4月22日に投稿されたサッカー部の謝罪動画に、段原監督が関与していたと告白しました。

段原監督は、動画で発言した4人以外の部員も出ることをアドバイス。マスクをせず名前を出すことも指示したようです。

 

生徒は、段原監督から動画のポイントやアドバイスを受け、撮り直しをしていたようです。

謝罪動画が投稿された当初、段原監督は関与を否定していました。テレビ生出演の時と同様、段原監督のウソがばれてしまったことになります。

秀岳館の記者会見の前日には、緊急保護者会で謝罪した段原監督。度重なるウソがばれ、謝罪をしても信用されなくなってしまいそうです。

 

段原監督の退職とコーチの懲戒免職

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警察の捜査中のため保留されていた段原監督と男性コーチの処分が決まりました。

自宅謹慎となっていた段原監督と男性コーチは、サッカー部のチーム登録から外されます。

 

秀岳館は、監督の変更届を熊本県サッカー協会に提出し、5月13日に受理されます。

暴言と暴力をする監督やコーチの基で指導を受けたくないものです。生徒に安心して部活動をさせたいという秀岳館の思いがあったのでしょうね。

 

秀岳館は、段原元監督の退職願を5月17日付で受理します。

 

また、男性コーチは「生徒へ暴行を繰り返し、信頼を著しく損ねた」として、懲戒処分となりました。

 

くすぶり続ける秀岳館の暴力問題

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熊本県が2022年7月29日に、秀岳館が提出した報告書の概要を公表しました。

調査の結果、サッカー部以外での暴力行為が発覚。関係者15名を減給や戒告などが懲戒処分になっていました。

 

生徒による投稿で明らかになったサッカー部の暴力事件は、秀岳館全体の問題として大きな影を落としているようです。

 

まとめ

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秀岳館高校を卒業して活躍した有名人をご紹介してきました。

強豪と呼ばれる学校に集まるのは、一流の選手たち。中でも有名になれる人は、一握りしかいません。

有名人を多く輩出する秀岳館は、素晴らしい学校とわかります。

サッカー部の暴力行為が問題となった秀岳館。スポーツ指導での暴力は禁止されています。

生徒は指導者を信頼しています。生徒の信頼を裏切らない指導をしてほしいですね。

 




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