お笑い芸人や様々な司会するなど幅広く活躍されている今田耕司さん。そんな今田耕司さんですが高校時代に脱走をしていたそうです。
なので今回は、今田耕司さんの通っていた日生学園第一高校を紹介していきます。
脱走するのも無理はないエピソードがてんこ盛りなので、どうぞご覧ください。
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今田耕司が通っていた日生学園第一についてと高校時代のエピソード
それでは今田耕司さんが通っていた日生学園第一高校についてや、高校時代のエピソードを紹介していきますので、見ていきましょう。
日生学園第一高校の基本情報
今田耕司さんは高校時代通っていた日生学園第一高校は、現在名称は桜丘高等学校に変わっています。偏差値は44のようですね。
日生学園第一高校は、1965年に学校法人日生学園が認知されます。そして1966に後の日生学園第一高校になる日生学園高等学校が開校されました。
また、1988年に日生学園附属中学校が日生学園第一高等学校併設となり中高一貫校となったようです。そして2015年に桜丘高等学校となったみたいです。
日生学園第一高校は昔は超スパルタ学校で有名でしたが、現在は進学校として学業に力を入れているそうですね。
日生学園第一高校は超スパルタ高校だった
今田さんが通っていた日生学園第一高校は日本一と言われるほど超スパルタ全寮高校だったようです。
別名「少年院」と呼ばれることもあるのだとか(汗)今田耕司さんも、「もはや刑務所」と言っていました。
この高校の生活は、毎朝4時半に起床し、2キロのマラソンに始まり、終われば1時間の大掃除が強制的にあったそう。
その他にも便器を素手で洗わされ、汚れが付いていたら爪で削って落としていたとのこと。
そしてまた放課後に10キロのマラソンと掃除、しかも外出は月1度の帰宅以外許されないなどの、現代では考えられない厳しさです。しかも名前は番号で呼ばれるらしいです。
またこの寮にはルールがあり、「水や甘い物はダメ」「自由時間、娯楽なし」「家族からの差し入れは3年生に渡す」「修学旅行、遠足なし」などがあるそうです。
こんな寮生活は絶対嫌ですね。
今田耕司は日生学園第一高校を脱走していた
このように超スパルタな日生学園第一高校に通っていた今田耕司さんですが、なんと高校1年生の時に脱走を試みているのです!しかし失敗してしまい、連れ戻されています。
ちなみに脱走した生徒がいると、その生徒が見つかるまで1年生は正座させられるそう。
ですがそれでも諦めきれなかった今田さんは、用意周到に準備を重ねて、2度目の脱走を企み実行します。
1階トイレの窓から脱出し、追っ手が来ますが草むらに隠れます。そして、最寄駅は通報される恐れがあるので避け、山を2つ超えるのですが、その際野宿をしたのだとか。
この慎重な行動が功を奏し、目標の駅にたどり着き、電車に乗り込みます。電車が走り出して、ようやく脱走仲間と手を取り喜び合ったとのこと。
これ凄すぎですね!でまるで刑務所の脱走じゃないですか(笑)さすが別名「少年院」ですね。
脱走が成功し、大阪の実家に帰宅しますが、学校から「辞める手続きに来てください」と言われ今田さんは学校に行きます。
そこで教師が「お母さん。これからこの子が学校を続けるって言うまで、僕はこの子を殴ります」と言われ、5〜6発殴られ「続けます」と言わされてしまいます。
ですが、結局は冬休みの帰省を機に退学をしたそうです。
母親の前で殴る教師がいるなんてヤバすぎる・・・。もはや時代が違いすぎますね。
日生学園第一高校に浜田雅功も通っていた
今田耕司さんが通っていた日生学園第一高校には、ダウンタウンの浜田雅功さんも通っていたそうです。
なんと浜田さんは副学寮長だったとのこと。今田さん曰く、「学寮長っていえば、僕らからしたら、凄い人ですから」というぐらいスゴイのだとか。
出典:お笑い芸人.com
浜田さんも今田さん同様、何度も脱走し、相方の松本人志さんの家に逃げ込んでいたそうです。何度も脱走をした浜田さんですが、きちんと卒業されているみたいです。
やはりこれだけの厳しい学校なら脱走したくなるのも無理はないです。脱走先が松本人志さんの家というのは少し面白いですね。
今田耕司と浜田雅功は、なぜ三重県にある日生学園第一高校を選んだのか?
今田耕司さんと浜田雅功さんは大阪出身ですが、なぜわざわざ三重県にある日生学園第一高校に進学したのでしょうか。
ちなみに日生学園は素行不良が原因で、地元の高校には進学できない生徒や、不登校になった生徒が集まる場所とのこと。
そして今田耕司さんと浜田雅功さんは、素行不良で日生学園に入らざるをえなかったと言われています。
出典:https://trend-geino.com/archives/7830
テレビでは優しい今田耕司さんですが、この高校時代の写真を見ると、素行不良だったことがわかりますね。
浜田雅功さんなのですが、日生学園には父親に入れさせられたとのことです。中学時代は相方の松本人志さんと一緒につるんで悪さをしていたので、矯正の意味で入れさせられたのでしょう。
この2人が脱走するほど辛い高校なんて、やはり相当キツイのでしょうね。
日生学園第一高校を中退した後、大阪の清風高校に編入
今田耕司さんは最初三重県にある日生学園第一高校に通っていましたが、中退して大阪にある清風高校の定時制に編入して卒業されています。
清風高校は男女共学の私立中高一貫校のようです。偏差値は高く、なんと62〜71もあるレベルの高い高校のようですね。
今田耕司さんが編入した定時制の偏差値まではわかりませんでしたが、中退した日生学園第一高校(桜丘高校)の偏差値は44なので、それぐらいの偏差値ではないでしょうか。
清風高校の定時制には面白い人が沢山いた
今田耕司さんは日生学園第一を中退後、清風高校の定時制に通う事になるのですが、そこでは面白い出来事が色々とあったそうです。
30歳の「スーパの店長」がいたらしく、トイレでタバコを吸っていたそうです。
そんな店長に今田さん達が、「そんなところで吸わないで、教室で吸ってくださいよ〜〜!」と言います。
30歳という事もあり、法的問題はありませんので、今田さん達もそう言ったのでしょう。
ですが、店長は優しい口調で「ルールやから・・・」と返したそうです。
出典:http://zacky001.com/imadakouzi-ametalk/
まあ、確かに教室で吸うのは気が引けるかもしれませんね。現在だったら、30歳とはいえ学校ではどこも吸えなさそうですけど・・・。
次は看護師のおばさんとヤンキーの喧嘩があったそうです。看護師のおばさんが漬物を持ってきていたらしく、ヤンキーに「学校に漬物持ってくんなや!!」と言われてしまいます。
それに対し、看護師のおばさんが「しゃーないやないの、晩御飯なんやねんから!!」と応戦していたとのこと。
出典:http://zacky001.com/imadakouzi-ametalk/
この喧嘩を見て今田さんは「お母さんってすごいな」と思ったそうです。
さすが大阪の定時制だけあって色々なことがありますね。それにしても、スーパーの店長と看護師のおばさんはなぜ定時制に通っていたのでしょうか。とても興味深いですね。
日生学園第一高校を中退・編入したのには理由があった
今田耕司さんは1度高校を中退したにも関わらず、もう1度高校に編入したのにはある理由がありました。
それは、高校を中退後にアルバイトをしていたラーメン屋の店長に「高校だけは卒業しろ」と言われたからです。
「日本一若いラーメン屋の店長」を志していた今田さんにとって、現ラーメン屋の店長の言葉に何かを感じ取ったのでしょうね。
高校を卒業後は大学には進学せず、吉本総合芸能学院(NSC)に入り、お笑いの世界へと歩みます。
実は当時、お笑いではなく寿司職人か、美容師になりたいと思っていたらしいのですが、肌が弱かったらしく、医者に「水を扱う仕事は向いていない」と言われ断念したようです。
ですが、今やお笑いで大成功されていますので、結果オーライですね!
まとめ
では今回の記事をまとめていきますね。
●今田耕司が通っていた日生学園第一高校は2015年に桜丘高等学校と名称が変わった
●日生学園第一高校は超スパルタでもはや刑務所のような厳しさ
●あまりの辛さから今田耕司は脱走をし、中退した
●日生学園第一高校は浜田雅功も通っていて副学寮長だった
●そもそもこの学校に今田耕司が入った理由は素行不良だったから
●日生学園第一高校を中退した後、大阪の清風高校に編入した
●中退してまた編入したのには理由があり、それはバイト先の店長に「高校だけは卒業しろ」と言われたから
今回は今田耕司さんの高校と高校時代のエピソードを紹介していきました。今田さんが芸人として売れた理由にもしかしたら超スパルタの学校で鍛えられたからかもしれませんね。