ザ・ドリフターズのメンバーであり、現在も数々のバラエティ番組に出演するなど、常に第一線で活躍する志村けんさん。
そんな志村けんさんの若い頃の画像がイケメンすぎると話題のようです。
なので今回は、志村けんさんの若い頃の画像がどれだけイケメンすぎるのかを紹介していきます。
また志村けんさんの若い頃が、沢田研二さんや寺門ジモンさんに似ていたことも判明しているので、紹介していきます。
さらに、志村けんさんのお笑い人生についても紹介していきますので、是非ご覧下さい。
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志村けんの若い頃がイケメンすぎる
志村けんさんの若い頃の画像がイケメンすぎると話題ですので、早速見ていきましょう。
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カッコイイ・・・。志村けんさんの若い頃はとてもイケメンですね!眉毛がキリッとしててもはや俳優みたいです。
若い頃からザ・ドリフターズのメンバーとして大活躍していたので、きっとモテモテだったでしょうね。
若い頃の志村けんと沢田研二と寺門ジモンがどれだけ似てるかを検証
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若い頃がイケメンすぎる志村けんさんと似ていると言われている沢田研二さんと寺門ジモンさんがどれだけ似てるかを検証していきます!
沢田研二
志村けんさんの若い頃と沢田研二さんが似てると言われているので、どれだけ似ているかを検証していきましょう。
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左が志村けんさんで、右が沢田研二さんのなのですが、とても似ていますね。
沢田研二さんは中性的な魅力を武器に、当時数多く放送されていた音楽番組の常連となり、ジュリーブームを起こさすほどのイケメン歌手でした。
そんな沢田研二さんと似ている志村けんさんはかなりイケメンだったことがわかりますね。
そしてこの2人が似ているという極め付けの画像がコチラ
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さあこれは志村けんさんと沢田研二さんのどちらかお分かりでしょうか。私は最初志村けんさんだと思っていたのですが、沢田研二さんのようです。
志村けんさんは右手に腕時計をするようですが、これは左に腕時計をしています。さらに、腕まくりをする服の着方や、ジーンズや靴の感じから沢田研二さんとのこと。
どちらにせよ、迷う時点で2人がとても似ているということでしょうね。
寺門ジモン
志村けんさんの若い頃はイケメンの沢田研二さんに似ていることがわかりましたが、なにやら寺門ジモンさんにも似てるという声があるので、どれだけ似ているかを見ていきましょう。
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似てる(笑)志村けんさんの若い頃はこんなにも寺門ジモンさんに似ていたのですね。となるともしかして寺門ジモンさんもイケメン!?
では寺門ジモンさんの若い頃はどのような感じだったのかを見てみましょう。
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う〜んイケメンなのかな(笑)でも現在よりとても痩せていることがわかりますね。寺門ジモンさんと志村けんさんの違いは目と眉毛の距離かなと個人的には思います。
志村けんさんは目と眉毛の距離が近いですが、寺門ジモンさんは目と眉毛の距離が離れています。
実は目と眉毛の距離が近いのはイケメンの必須要素とのこと。なんでも目とまゆげの距離が短いと凛とした雰囲気になり、逆に離れていると親しみやすい雰囲気になるのだそうです。
確かに寺門ジモンさんは親しみやすい雰囲気がありますよね。ということで、志村けんさんの若い頃と寺門ジモンさんはとても似ていることがわかりました。
志村けんの若い頃に世間も絶賛
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ところで、志村けんさんの若い頃を世間はどう思っているのかを見ていきましょう。
若い頃の志村けんイケメンすぎてガチで嫉妬する pic.twitter.com/nKM41wZQzo
— エヌカレ (@syachiku_game) March 25, 2020
志村けんもたけしも若い頃の写真みるとかっこいいな
— 洋子, 斧 (@walkinonthinice) March 25, 2020
若い頃の志村けんは淳をちょっとワイルドにした感じで超モテそうなんだよな
私は知ってるんだ、淳の顔はモテの相なんだ…予備校の淳似男子もめちゃモテしてたんだ— こでちん (@codeinieren) March 25, 2020
でもジュリー、時々若い頃の志村けんに見えるわ。まぁ若い頃の志村けんも相当イケメンなんだけども。
— 三万亭馬骨 (@techpul) December 3, 2013
志村けんさんの若い頃を絶賛する声がとても多くありました。中にはイケメンすぎて嫉妬している人もいるようですね(笑)
若い頃がイケメンすぎた志村けんさんのお笑い人生
出典:zakzak
それでは若い頃がイケメンすぎる志村けんさんのお笑い人生を紹介してきます。
お笑い芸人を志したキッカケは父親
出典:nicovideo
志村けんさんがお笑い芸人を志したキッカケは父親が「雲の上団五郎一座」の舞台中継を見て笑っていたからのようです。
志村けんさんの父親・憲司さんは教師で、とても厳格な父親だったことから、声に出して笑う姿はとても珍しく衝撃だったのだとか。
これをキッカケに志村けんさんは友人たちを笑わすことに熱中し始め、お笑い芸人を志すようになったみたいです。
確かに普段笑わない父親が声に出して笑ったら、衝撃を受けますよね。
それから「志村けん」という芸名は父親の「憲」を取って付けたようです。ちなみに志村けんさんの本名は「志村康徳」です。
このことからも父親を尊敬していたことがわかりますね。
実は下積み時代失踪するなど順風満帆ではなかった
志村けんさんは高校卒業直前の1968年2月に、なんのツテもないままいかりや長介さんに弟子入りを直訴しました。
そして、バンドのボーヤ(付き人)として、ドリフに携わることになります。
1969年から見習いとして志村けんさんの修行がスタートし、1974年ザ・ドリフターズの正式メンバーとなりました。
ですが、実は志村けんさんは1969年の秋頃、失踪していたとのこと。
これには諸説あり、「あまりの修行のつらさに逃げた」「同じボーヤ仲間の井山淳とコンビを組みたいといかりや長介に告げたところ、許しが得られなかったため出ていった」「コメディアンとして社会勉強をしていた」などが言われています。
どちらにせよ順風満帆ではなかったようです。志村けんさんはてっきり、すぐドリフメンバーになり活躍していたと思っていたのですが、実は苦労人だったみたいですね。
ザ・ドリフターズのメンバーになるもウケない日々が続く!しかし「東村山音頭」で大ブレーク
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志村けんさんは1974年に正式にザ・ドリフターズメンバーになるのですが、舞台でどんなに頑張っても、お客さんに全くウケない期間が続いていたそうです。
ウケないどころか「なんだ、引っ込め」的なブーイングを受けていたのだとか。
このウケない原因に荒井注さんの存在があったそうです。荒井注さんは元正式メンバーで、1974年に休業という名目で脱退をしています。
その代わりに志村けんさんが抜擢されるのですが、「ふてぶてしい」荒井さんのキャラクターはドリフの人気にも繋がったぐらいの存在だったこともあり、見ている方は知らず知らずに荒井さんを重ね合わせてしまうことから志村けんさんはなかなか受けいれられなかったそうです。
そんな苦悩の日々が続いた1976年に転機が訪れます。新潟市民会館で行われた「少年少女合唱隊」コーナーでラストに志村けんさんが「東村山音頭」を歌いこれが大ウケしたのです。
9月にはシングルで発売され、東村山市長から『市の知名度を上げた』ということで感謝状も贈られました。
このブレークにより志村けんさんが世間に認知され、第2期ドリフの快進撃の幕開けとなったそうです。
このように志村けんさんは順風満帆ではなく、苦悩日々を経験していました。
この苦悩の日々があったからこそ、横暴になることなく、周りから愛され続けられるような人柄になられたのでしょうね。
まとめ
出典:a-omoshirokatta.com
では今回の記事をまとめていきます。
- 志村けんの若い頃の画像はイケメンすぎる
- 志村けんの若い頃は、沢田研二や寺門ジモンにかなり似ていた
- 志村けんの若い頃の画像を見た世間はイケメンと絶賛していた
- 志村けんのお笑い人生は順風満風ではなかったが、苦労の末、大ブレークを果たす
今回は、志村けんさんの若い頃について紹介しました。とてもイケメンすぎてびっくりしましたね。今後も志村けんさんの活躍を応援しています。